過去の海外旅行を振り返ろうシリーズ、ポーランドとバルト三国編です。
旅程はクラクフ→ワルシャワ→ヴィルニュス(リトアニア)→シャウレイ(リトアニア)→リガ(ラトビア)→タリン(エストニア)。真冬の1月、毎日-20度という極寒の中、北上するという狂気の旅行。
ポーランド・バルト三国の旅行記 ポーランド編
まずはポーランド。お隣、チェコからinしました。このLEO expressというのが、鉄道+バスがセットでプラハ→クラクフに連れて行ってくれました。とても綺麗でWiFi有で大満足。
この旅ではコスト重視でホステルばっかり泊まってた。こんな感じの共有部屋。「Hostel Submarine」というところで1泊1,200円くらい。
クラクフに来た目的は、ここに行くため。アウシュビッツです。クラクフからバスで行くのが一般的だそう。わたしたちは、ホステルでピックアップしてくれるバス送迎ツアーを予約しました。どこのホテルでもこういうツアーを売ってると思う。
ガス室、銃跡の残る壁、山盛りの大量の靴、髪の毛、衣服など、ここで生きて、殺された人が本当にいるんだと意識させられる。名前・生年月日が書かれた写真付きの囚人のプロファイルも数え切れないほど並べられていました。
アウシュヴィッツを見学し、翌日はワルシャワへ移動。旧市街が可愛らしい。散策中、寒すぎて爪先が凍りつつあるのを感じ、手袋・帽子・ムートンブーツ・タイツを購入しました。
ワルシャワのホステルは「PATCHWORK WARSAW HOSTEL」。1泊900円くらい。ホステル続きの場合、洗濯物はシャワーで手洗いしてベッド脇に干しとくのですが、この日起きるとパンツがなくなってた・・・。
えっ盗られた、と思ったのですが、よくわからないアジア人のパンツなんて盗む人いる?とも思う。どこにいってしまったのかは謎のまま。
ポーランド・バルト三国の旅行記 リトアニア編
夜行バスでリトアニアの首都・ヴィリニュスへ移動です。2,000円くらいだった記憶。ヨーロッパ、東に行くほど物価が安くなって嬉しい限り。
早朝にバスが到着。駅の近くのカフェで休憩。Macchaというのは、割とどこの国でも見かける気がする。リトアニアにまであるんだもんね。
ちょろっと街歩きをした後に、こちら「KBG博物館」へ。KBGとは、ロシアの秘密警察。勾留室やら処刑のための血痕だらけの地下室などがあります。アウシュビッツと同じくらいに重い。
ホステルは「Hostel Jamaika」。1泊1,100円。ビール缶で作られたベッド。部屋でビール飲んでたらロシア人がやってくる。名前を聞くと「スパイダーマーーン!Wooo!」とラリってて草。
ビュルニュスの滞在は1日のみ。続いてはシャウレイという都市に移動します。
ここには結構有名な観光スポット「十字架の丘」があります。しかしアクセス方法がわからず、徒歩で向かってみることに。歩道もない道をひたすら歩きます。鬼の寒さ。立ち止まったら凍死確実。
そしてやってきたのがこちらです。十字架の丘。おびただしいほどの十字架が建てられていて、ちょっと不穏。こんな天気だからか、貸切でした。
なんかすっごい人の念が込もってそうな十字架たち。だけどここには誰もいなく、風の音しかしない。今まで行った場所で最も異世界感があった。ちなみに、いまだに誰でも十字架を置くことができるらしく、どんどん増えているらしい。
またはるばる歩いてホテルへ戻る。この日は「Alkos Namai」という一軒家を部屋貸ししているところへ宿泊。お庭にあった綺麗なツリー。
こんな感じで部屋は狭め。しかしオーナーのおっちゃんがめちゃ良い人で、朝食くれたり翌朝駅まで車で送ってくれたりしました。
ホテルが良いとその都市の印象がググッと良くなる。
ポーランド・バルト三国の旅行記 ラトビア編
バスにてさらに北上、ラトビアです。もう-20度の表記を見ても驚かなくなる。こうやって見下ろしてもわかる通り、こぢんまりとした綺麗な街です。
本来はオレンジ屋根とカラフルな建物が綺麗らしい。が、雪で真っ白。写真スポットのようでしたが、まるで人がいませんでした。
こちらは旧市街。休日のお昼過ぎだったと思いますが、人出がまるでない。お土産屋さんですら閉まっているところも割とあり、遊びに来る時期を間違えたなあと思う。
和食を恋しく思い、何やらチャラいラーメン屋さんへ。ドミトリーで同室のカナダ人に「今日はラーメン食べてきたよ」と言うと「え、なんで?こんな異国の地まで来て」と言われた。長く旅をしてると、そういうこともあるの。
ちなみにホステルは「Riga Hostel Centre」。1泊700円でした。
寒すぎて、日中の数時間しか外出しなかった思い出です。
ポーランド・バルト三国の旅行記 エストニア編
またまたバスで移動、バルト三国最後の都市、エストニアへ。長旅の疲れを癒すカフェとケーキ。
こちらもラトビアと同じく、人出がない。極寒で日が出るのは数時間、こりゃ自殺率も高くなるわ、と思った。しかし街自体はカラフルで可愛らしいです。
Google Mapを見ていると、近くに評価の高いレストランを見つけて入店。写真左のオルデハンザというお店です。
海が近いからか、海産物が美味しかった思い出。木製のずっしりとしたインテリアに、蝋燭の火でとても雰囲気が良い。
メインもたっぷり、美味しいです。価格は忘れましたが、大学生の貧乏旅行でも頑張れば来れるくらいだったんでしょう。物価が安いって素晴らしい。スタッフもフレンドリーでした。
この日の宿は「Katus Hostel」。1泊1,200円くらい。同室のアメリカ人とビールを飲みながら日本のアイドルについて教えるなどした。楽しい。
しかしここで働くスタッフの態度が最悪。わたしは翌日、ライアンエアーというチケットを印刷しなければ罰金がかかるという飛行機を予約しており、コピー機貸してと頼んだのですが、チッと舌打ちされ自分でやれだのウダウダウダ。
怒りながら空港で食べたエストニア料理。でっかいニョッキみたいな感じでした。
ポーランド〜バルト三国の旅行記 まとめ
楽しかったですが、一言でいえば「夏に行くべきだった」に尽きます。寒すぎて露出している肌が痛む。しかし物価の安さや、雑貨や街並みのかわいらしさなど、魅力は豊富。というわけで、そのうちまた行くと思います。夏にね。
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